創設者大滝政治が上京した大正時代後期、世は東京大震災の被害もまだあり人々は日々の生活と復興で必死でした。子どもたちは放ったらかしにされておりましたが、大滝政治ら数名の有志によりバラックが立ち並ぶ仮設地区(現在の江東区猿江恩賜公園)の一角で青空保育を始めました。
こういった活動があり、生き生きと遊ぶ子どもたちの笑顔を見た地域の人々の間で「この地にこの子たちのための幼稚園をつくろう」という機運が高まり、大島中央幼稚園の設立につながりました。
昭和5年 8月
地域の人々の厚意と協力を受け、江東区大島5丁目地区に児童保育のため、大滝政治(創立者)が園長となり「大島中央幼稚園」を開設する。
昭和9年 5月
当時工業地帯であった江東区北砂4丁目に「砂町幼稚園」を開設する。
戦前の砂町幼稚園園舎
昭和15年 9月
紀元2600年記念事業として、戦没遺家族無料母子寮と授産所を砂町幼稚園に併設。
江戸川区東船堀(現在の船堀3丁目近辺)に「船堀保育園(現:船堀中央保育園)」を開設する。
船堀保育園 第二回卒園式
昭和16年 4月
砂町幼稚園を「砂町保育園」と改称する。
昭和19年 12月
東京都により「幼稚園閉鎖令」が出され、戦時託児所となる。
昭和20年 3月
東京大空襲で大島中央幼稚園・砂町保育園園舎焼失、跡形もなく灰となり、大島中央幼稚園の継続を断念し廃止する。
船堀保育園は空襲を免れる。
昭和20年 8月
終戦と同時に東京大空襲を免れた船堀保育園の遊戯室部分の資材を使用しバラックを建て、同年12月に砂町保育園を再開する。
当時の砂町保育園園舎
昭和23年 7月
砂町保育園が認可を受ける。
昭和25年 7月
江東区亀戸7丁目に「亀戸浅間保育園」を開設。
昭和26年 12月
亀戸浅間保育園が認可を受ける。
昭和29年 7月
船堀保育園が江戸川区東船堀から船堀2丁目に移転する。
昭和34年 12月
江戸川区船堀2丁目の船堀保育園の隣接地に、養護施設「大滝児童学園」を開設。
大滝児童学園・船堀保育園
昭和35年 1月
養護施設大滝児童学園が認可を受ける。
昭和35年 2月
「社会福祉法人東京児童協会」設立認可を受け、法人組織となる。大滝政治が初代理事長となる。
昭和50年代の大滝政治